お正月シーズンに相応しい香合
香合とは、お香を入れておく小箱のこと。 飾ってもよし、お手前で使ってもよし、 香道だけでなく、茶道のお点前などでも使われる香道具です。 さて、今回の香道具紹介は、新年を寿ぐ日に相応しい逸品。 源氏物語「初音」の帖をイメージして作られたと考えられる、 華やかな金蒔絵の香合をご紹介いたします。
<目次>
・『源氏物語』初音の帖を示す、雅やかなモチーフの数々
・新年を寿ぎ、極楽浄土の如く華やぐ六条院
・年月を松にひかれて経る人に 今日鴬の初音聞かせよ
『源氏物語』初音の帖を示す、雅やかなモチーフの数々
2つの香合は、それぞれ独立した状態でも十分絵になりますが、
繋げると1つの絵が出来上がる仕掛けになっています。
まずは左側から。
大きな松の木、鶯と思われる鳥の姿、花咲き誇る梅の枝が描かれています。
姿形も愛らしく、美しい鳴き声で知られる鶯ですが、
その年の最初に聞く鶯の声には、
「初音(はつね)」と、特別な名前が付けられています。
ただし、この梅は本物の梅であっても、
本来なら、鶯と松は、人形・造花、
と考えられます(その理由は後述します)。
次に右側。
右側には、
小さな若い松の木と、御殿が描かれています。
平安時代、当時の貴族たちは、お正月最初の子の日には
「子の日遊び(ねのひあそび)」と言って、
「小松引き(こまつひき)」という野遊びをしたり、
宴を開いて、和歌を詠んだりして過ごしていました。
(それにしても、何かにつけ隙あらば宴会をしている人たちですね)
小松引きとは、外にある小さな若松の木を引き抜くことで、長寿を願う遊びです。
若松の絵は、この小松引きを暗示しています。
そして、御殿の階段を上ったところに、ご注目。
2つ並んで置かれているのは、
パイナップル…
…ではなく
これは髭籠(ひげかご)と呼ばれる籠の一種。
竹などを編んで作られた籠で、一部を編み残し、
髭のように伸ばした状態にしてあるものです。
飾りとして使ったり、中にプレゼントを入れて贈ったりして使います。
このように、蒔絵のデザインに隠された手がかりから、
この絵は、紫式部によって書かれた平安文学の代表作の一つである、
源氏物語の「初音」の帖を描いたものであると推察できます。
新年を寿ぎ、極楽浄土の如く華やぐ六条院
こうして左右の絵をつなげて紐解いてみると、
なんとも華やかな六条院のお正月が浮かび上がってきます。
初音の帖は、源氏36歳の正月の様子を描いたもので、
その新春を寿ぐ御殿のお庭は、
梅の香りと、御殿の奥から漂う薫物(平安時代によく使われたお香)の香りが混じり合い、
まるで、この世の天国(極楽浄土)のようだ、と讃えられています。
雲霞のようにも、馥郁と漂う香りのようにも見えるぼかし具合も非常に巧みです。
外では、童女や女官達は小松引きをして遊び、
北の御殿からはお菓子の入った髭籠などの贈り物が届き、
形の良い五葉松の枝を模した飾りに、鶯の人形がとまったものが飾られていた、と記されています。
そして、その五葉松の枝には、ある手紙が添えられていました。
年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ
この松の形の飾りに添えられた手紙は、
明石の君から送られたものです。
手紙には、次のような認められた和歌が書かれていました。
年月を松にひかれて経る人に
(意訳)長い年月に渡り、離れて暮らす我が子の成長を待ち続け、
今日鴬の初音聞かせよ
年を重ねていく私に、今日は初音(我が子の声)を聞かせてください。
手紙の差出人である明石の君と源氏との間に生まれた子(姫君)は、
源氏と正妻である紫の上の養子として、育てられることになりました。
当時は非常に厳しい身分社会であった為、
「娘の将来のために」と考えた結果の選択ではありますが、
出自の低いとされた明石の君は、実の親子であっても、
愛しい我が子の成長をすぐ傍で見守ることは許されません。
姫君は養母である紫の上に大切に育てられましたが、
結局、明石の君は、姫君が成人して入内するまでの間、
会うことも叶わない状態が続きました。
この手紙を見た源氏は、娘に会えない実の母(明石の君)に対し、
罪深く、気の毒なことをしてしまっていると感じ、
お正月から、涙を堪えることができなくなってしまいます。
そして、まだ幼い娘に、
「離れて暮らす母のために自分で返事を書くように」と伝え、
返歌を書く為の硯の用意などを手伝ってやり、「初音」の声を届けたのでした。
余談ながら、物語の通りであれば、梅は本物、松と鶯は作り物です。
本来なら、鶯(の人形)がとまっているのは作り物の松の方ですが、
この絵はよく見ると「松」ではなく「梅」の枝にとまっています。
「梅に鶯」といえば、取り合わせの良さを表す慣用句。
敢えて松ではなく梅と一緒に描くことで、
この鳥が他ならぬ鶯であることを明確にする、そして、
この絵が源氏物語・初音の帖であることのヒントにしたのでは?
と考えられます。
(松といえば鶴、竹といえば虎、梅といえば鶯…)